この文章を掲載したのが9月10日です。8月は複数にわたる九州での大雨による被害がありましたし、9月に入って関東では台風による被害が出た地域も多くあります。一日も早い、復旧と復興がなされるように祈ります。またこの時期、皆様の体調が支えられ、健康の弱さの中にある方々には神様の守りがあることをお祈りします。
先日、愛媛県新居浜市にある「愛媛県科学総合博物館」というところに子どもたちと行きました。常設展示の場所では、子どもたちの興味を引く、ありとあらゆるものが「科学技術館」や「自然館」にはありました。私が文章で説明するよりも、実際に行かれたり、ホームページを検索するとその様子がよく分かると思います。また特別展ではこの夏の時期は「からくりランドの大冒険~ゆかいなしかけのおもちゃたち~」といって、木やダンボールで細かく作られた、不思議な、しかもなるほどと思えるおもちゃがたくさんありました。実際に手で触って動きを感じることのできるもの、ただじっくりと目で見るもの、棒の部分をもって回転させて全体の動きを楽しむものもありました。それぞれが人によって作られた作品です。写真もたくさん撮りました。
これだけ子どもや大人を引きつけるものがそろっているところはこの辺りにはないかもしれません。私は初めて行ったところかと思いましたが、7年ほど前に、まだ松山に住んでいた頃に一度、行ったことがあるところでした。また機会があれば、ぜひ行きたい場所の一つです。
聖書のイザヤ書45章18節にはこう書かれています。「天を創造した方、すなわち神、地を形造り、これを仕上げた方、これを堅く立てた方、これを茫漠(ぼうばく)としたものとして創造せず、住む所として、形造った方、まことに、この主が言われる。『わたしは主。ほかにはいない。』」
天地万物を造ってくださった神様がおられることを聖書は一貫して語ります。そしてその創造者なる神様は何となくすべてのものを造ってくださったのではなく、きちんと目的をもって、しかも秩序をもって造ってくださったことが聖書には明らかです。宇宙や大自然、そして細かい人間のからだの仕組みなどを知れば知るほど、驚くほど精巧に造られていることが分かりますし、決して偶然に、進化してできたのではないことが明らかです。前述の博物館の「自然館」の4階は「地球のゾーン」というところがあり、そこでは世界そして生き物が偶然にできて、しかも進化によって、今があるというものでした。
本当にすべてのものが偶然にできたとしたら、私たちのいのちも偶然となり、そこには生きる何の目的もなくなってしまいます。しかし、「からくりおもちゃ」が偶然によって出来上がったのではなく、きちんと製作者がいるということ、その博物館には、ほかに「産業館」があって伝統産業・愛媛の基幹産業が紹介されていましたが、モノが生み出されるためには、やはり人間の手のわざが必要なように、この世界にあるすべてのもの、また私たち人間も神様によって造られたという結論に達するのです。しかも「わたしは主。ほかにはいない」と宣言される神様は偉大なお方です。そのように自己宣言をされる神様によって造られた私たちは、造ってくださった神様に応答していく生き方が本来の生き方ではないでしょうか。
つまり神様によって愛されている存在であるからこそ、神様を愛する生き方をするのがあるべき姿です。しかし本来、私たちには神様を愛する愛などありません。なぜならば、人間の罪によって、神様と私たちの間には大きな隔たり・断絶ができているからです。まことの神様以外のものを神様とすることによって罪を犯しているのです。しかしそのへだたりの橋渡しをしてくださったのが、十字架上で死なれ、復活された救い主イエス・キリストです。紙面の都合で書き尽くすことはできませんが、ぜひ聖書そのものを読まれ、教会の礼拝や集会を通して、神様の素晴らしさ、イエス・キリストの十字架の意味を知ってくださいますようにお祈りいたします。