牧師感話 10月 ~思うこと・感じること~

10月に入り、朝と晩はすっかり涼しくなりました。よく「季節の変わり目」と私たちは言いますが、いろいろ調べてみると、それは、寒暖差が激しい時節を指すようです。確かに日中と朝晩の気温差は大きいのがこの10月かもしれません。当然、寒暖差が激しいと小さな子どもたちやご高齢の方々だけでなく、誰でも、体調を崩したりします。だからこそ、十分な「睡眠」、適度な「運動」、バランスのとれた「食事」が大切であること、それだけでなく、リラックスする時間を設けたり、何よりも生活のリズムを整えることが必要なようです。

秋と言えば、スポーツの秋、読書の秋、収穫の秋、食欲の秋、行楽の秋などと、私たちはよく耳にします。秋は自然の移り変わりとその美しさを最もよく感じる季節ですね。「秋の夜長」とも呼ばれるように、いろいろと挑戦したり、試してみたりする時期でもあります。その一方で「夜更かし」をしてしまうことも、人によってはあることでしょう。

季節は巡り、世界も社会も、私たちの周囲も目まぐるしく変わっていきます。その中で変わらないものは何でしょうか。それは神様ご自身であり、神様の愛です。聖書は、神様がどんなお方かをいろいろな角度で紹介しています。マタイの福音書10章29-30節にはこうあります。

10:29 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。10:30 また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。

雀は、食べるものとして売られていたようです。「アサリオン」は1デナリ(貨幣の単位)の1/16だそうです。1デナリはイエス様の時代の日雇い労働者の1日分の給料だったと言われます。現代おける日給にもよりますが、雀二羽で数百円という計算になります。つまり雀は安かったということです。しかし、その一羽さえ、神様のお許しがなければ地に落ちないということ、すなわち神様のご支配の中にあるということをイエス様は語っておられます。そうであるならば人間はなおさら神様のご支配の中にあるということです。それだけではありません。イエス様は30節で「あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。」と語られます。

神様が私たちの「造り主」「創造主」として、どんなに私たちを具体的にご存じであられるのかを明らかにしています。私たちが私たちのことを知っている以上に、神様は私たちのことをご存じなのです。何よりも、神様がイエス・キリストにおいて人となられたことによって、なおはっきりと私たちのそば近くにいてくださるからこそ、私たちを心から理解してくださるのです。

マタイの福音書10章29節では、二羽の雀の価格が1アサリオンと書かれています。ということは、2アサリオンでは四羽買えます。ルカの福音書12章6節には雀五羽で2アサリオンとなっていますので、四羽買うと1羽おまけしてくれるということになるでしょうか。「雀の一羽」だけでは、おまけになるような価値しか認められていなかったのでしょう。別の言い方をすれば、「二羽の雀が1アサリオン」というのは、セットで売られていたということ、すなわち一羽では売り物にならないほど価値が低かったとも言えます。私たちから見て、どうでもよいと思える雀の一羽のいのちでさえ、神の御前には忘れられてはいないのです。「忘れる」とは、「見落とす」という意味でもあります。神様には、「忘れることがない」「見落とすことがない」ということですね。一羽の雀でもそうなのだから、なおさら、私たちのいのちは、神様の御前には忘れられてはいないのです。あなたにとって神様はどのようなお方でしょうか。

空の鳥、野の花にさえ神様のご支配が及んでいることを私たちは認め、偉大な神様のご支配とご主権の中を歩ませていただこうではありませんか。