2017年1月 牧師感話 ~思うこと・感じること~

新しい年を迎えました。皆さんはどのような思いをもって新年を迎えられたでしょうか。今年こそこのことをしてみたい、あのことに挑戦してみたいというさまざまな計画があると思います。

さて新しい年に入って、教会に来られていたある方が天に召されました。数年前にがんの手術を受けられ、その後もずっと抗がん剤治療などを受けられ、闘病生活を送っておられました。痛みも苦しみも大変なものだったことでしょう。しかし弱音をはくことなく、前向きにとらえ、信仰に堅く立っておられました。

私たちの人生は決して楽しいこと、嬉しいことばかりではありません。「生きる」とは時として苦しむことであり、悩むことであるのです。どんな人であっても、苦しみや悲しみ、試練と困難に直面します。しかし私たちの人生は、はかないと嘆く必要はありません。神様は慰めに満ちた神様であるゆえに、聖書のことばが私たちを慰めてくれるのです。その召された方は、神の御子イエス・キリストを信じる信仰によって、神様の御許に帰られました。今はそのさまざまな病や痛み、悩みや苦しみから解放されて、イエス・キリストの御許で平安のうちに安らいでおられます。聖書は、天国には死も、悲しみや叫びも苦しみもないところであるとも書かれています。今から約二千年前に、イエス・キリストは大切なことを宣言されました。聖書のヨハネの福音書11章25-27節には、次のように書かれています。

25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」27  彼女はイエスに言った。「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」

ここでイエス様は一人の女性に語られます。この前後を読むと、その女性はマルタという名前の女性であることがわかります。このようなことばを語られた背景には、この女性の実の兄弟であるラザロが亡くなったことが挙げられます。彼女は自分の兄弟が亡くなったことで、非常に悲しんでいました。身近な人が亡くなり、周りの人たちが悲しむということは時代を超えて、共通しています。そのようなマルタという女性に向かってイエス様は語られます。

「わたしはよみがえりです。いのちです。」(25)。イエス様は少し前の22節でマルタに向かって、「あなたの兄弟はよみがえります。」と宣言なさいました。このようにはっきり宣言できたのは、イエス・キリストご自身がよみがえりであり、まことのいのちだからです。そして続いて「わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(25)と言われました。神の御子イエス・キリストを信じる人に対して、神様はプレゼントとして新しいいのち、永遠のいのちを与えてくださいます。これは神様の確かな約束です。「また、生きていてわたしを信じる者は決して死ぬことがありません。」(26)とありますが、今のいのちがこの地上で永遠に続くということではなく、たとえこの地上での生涯を終えても、やがて行くべき天国、永遠の故郷において、永遠のいのちに生かされて、永遠に神とともに過ごすことができるということなのです。そして最後にイエス様は「このことを信じますか」とマルタに問いかけています。彼女は「はい、主よ。あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております」(27)。「このことを信じますか」イエス様のこの問いかけは実は当時のマルタだけでなく、現代に生きる私たちに対する問いかけでもあるということです。皆さんはいかがでしょうか。

神様は私たち人間を、目的をもって造ってくださいましたが、人間が神様に背を向けて、自分の思うままを歩んでしまったがゆえに、神様から離れた存在、神の愛と意志に応答できない存在となってしまいました。聖書は、すべての人が罪を犯し、的はずれな生き方をしてしまっていると語っています。罪とは神様の前における罪、本当の神を神としない生き方そのものです。私たち人間は生きておられるまことの神様から離れてさまよっている存在であって、自分の力では神様のもとに帰ることはできません。神様から離れ、さまようそのような私たちを身元に引き寄せ、赦してくださるため、すなわち私たちを罪から救うために神様がとられた方法が、救い主イエス・キリストの十字架の身代わりの死でした。そしてイエス・キリストは3日目によみがえられたのです。まさに死に対して勝利されました。

神様は天地万物の造り主、そして私たちのいのちの創造者であり支配者であるお方です。そして愛に満ちておられるお方です。私たちの身近な親しい人が召されるならば、そこには悲しみがありますし、私たちは慰めを必要とします。しかし感謝なことに「死」はそれで終わりではありません。聖書が宣言するように、罪を悔い改め、神の御子イエス・キリストを救い主として信じる信仰によって、罪赦され、まことのいのちが与えられ、復活の希望が約束されています。イエス・キリストご自身がよみがえられたお方だからです。そして同じ信仰に生きるならば、天国で再会する希望が与えられるのです。

聖書のことばは、苦しみの中にある人々、悩みの中にある方々、慰めを必要としている人たち対して、いや、すべての人に対して語りかけます。聖書にご自身を示された神様は、皆さんお一人おひとりを限りない愛をもって愛しておられます。ですから、私たち人間が、神様の助けをいただいて神様のもとに立ち返るとき、神様は赦しとあわれみを注ぎ、恵みによってお救いくださるのです。聖書を通して、自分の「いのち」について、また誰にでも訪れる厳粛な「死」という根本的な問題に対する解決を見い出してくださり、平安と希望のうちに、この地上の生涯を皆さんそれぞれが歩んでいただきたいと願っています。