7月 牧師感話 ~思うこと・感じること~

7月になりましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。6月の梅雨の雨量は例年よりも多く感じましたし、風の強い日もありました。雨は農業にとって大切なものですし、農作物が育つためには不可欠なものです。しかし、6月には九州で大雨によって土砂災害が起きたように、場合によっては、地域生活にそして農作物に被害が及ぶこともあります。私たちは自然というものをコントロールすることはできないことをつくづくと思わされます。

梅雨が明けると、夏本番という感じで、暑い日々が続くので、水分が私たちのからだに不可欠となります。夏になると海や川へ出かける方も多くおられますし、しばらく前から「森林浴」ということばも頻繁に聞かれるようになりましたが、大自然の中を散策したり、滝なども観光名所が多いので行かれる方もおられます。日常の忙しさから少し距離をおいて、気分転換をはかるということは大切なことだと思います。私が生まれ育った群馬県には「谷川岳」という名前の山がありますし、たくさんの温泉がある中で「谷川温泉」という温泉もあります。また隣の栃木県にある日光・華厳(けごん)の滝は修学旅行などで行きます。

さて、聖書には、鹿が「谷川」の水を慕い求める姿を通して、人間が、それも人間の存在そのものが生ける真の神様を慕い求める姿を描いている箇所があります。

詩篇42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。

この詩篇の作者はダビデという人物であると考えられています。ダビデは、鹿が谷川の流れを慕い求めることをよく知っていました。聖書を読むと、彼はサウルという人物から逃げ、エン・ゲディというところに隠れていた時がありました(調べてみますと今でもエンゲティ国立公園があるようです)。その周辺一帯は荒野であり、緑がほとんどなかったのです。しかし、地理的な条件のゆえに川が流れ、ところどころに緑があったようです。ですから鹿たちは水や木陰を求めて、谷川にやって来ました。ダビデは、羊飼いでもあり、砂漠の中にいる鹿が谷川の水を慕い求める様子をよく知っていたことだろうと思います。動物園に行けば、どの動物も食べ物と同時に水が大切であり、水を飲んでいる姿はほほえましいものですね。

上の聖書のことばは「私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」と書かれていることに深い意味があります。作者は自分の心の内面について率直に告白しています。続く2節の前半でも、「私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。」と告白しました。もちろん1節も2節も信仰者の告白ですが、作者は自分の心の渇きをしっかりと自覚していました。しかし、この後を読んでいきますと、作者は今、神様との関わりにおいて、意気消沈し、ふさぎ込んでしまっていたのです。かつて経験した神とのすばらしい関わり・交わりを思い起こし、神を待ち望むこと、神をたたえることを自分に言い聞かせています。

皆さんはいかがでしょうか。人間は時として大自然の中に心のリフレッシュや安らぎを求めます。また趣味に時間を費やすこともそれは素晴らしいことです。それと同時に、いやそれ以上に、天地万物を造られた神様ご自身に本当の安らぎを求めるならば、私たちの心、私たちのたましいが神様の平安、キリストの平安で満たされ続けるというのが、聖書が私たちに約束していることなのです。

どうぞ、この詩の作者であるダビデのように、生けるまことの神様を慕い求めていただき、真の平安に満たされますようにお祈りいたします。神様の平安と祝福が皆さんに豊かにありますように。