「神様によって造られた動物たちそして私たち」
教会に来ている子どもたちにとって長い夏休みも終わり、小学校や幼稚園が始まりました。依然としてコロナ禍にありますが、子どもたちだけでなく、ご高齢の方々、皆様のご健康が守られ、支えられますようにお祈りいたします。
聖書は動物の図鑑でもなければ、生き物について詳しく書かれている専門書でもありません。しかし、聖書全体を読んでいくと、実にたくさんの動物や生き物が出てきます。どれくらいの種類の動物たちが登場してくるのか分かりませんが、動物好きな人にとってはとても興味深いことです。書店でも動物に関する子ども向けのおもしろい本がイラストとユーモアのある説明付きで販売されています。実際に買って読んでみると、なるほどと思うことが多く書かれています。はっきりしていることは、動物や昆虫などの生き物はまさに今、生きているということ、その動物も昆虫もやがて死んでいくという現実があります。身近なペットや飼っていた昆虫が死ぬと悲しくなるというのはだれもが持っている感情です。
私の小学生の子どもの夏休みの自由研究は昆虫の「カマキリ」についてでした。カマキリについて私もいろいろと調べてみると新しい発見がありました。カマキリということばの由来もいろいろ諸説あるようですが、草を刈る「カマ」の形に見えるのは確かです。しかもカマキリは英語で「マンティス」(Mantis)あるいは「プレイング マンティス」(Praying Mantis)というようです。「プレイング」というのは「祈っている」という意味で、確かに見方によってはカマキリが手を合わせてまるで祈っているかのようにも見えます。なるほどと思いました。人間と動物の大きな違い、決定的な違いは人間だけが神様を礼拝し、賛美し、祈ることができるということです。どの動物も感情を持っていますから、危険を察して怒ったり、逃げたり、エサを与えると喜ぶなどの表情を見せる動物もいるのは事実です。
聖書には神様が動物だけでなく、世界とその中にあるすべてのものを造ってくださったことが書かれています。そして時が過ぎて、ノアという人物は箱舟を作り、神様がその箱舟に多くの動物を乗せたという記事も書かれています。それが有名な「ノアの箱舟」という実話です。さらに聖書の詩篇(しへん)というのは昔作られた歌であり、神様に向かって歌われました。その中の詩篇104篇19-20節には次のようなことばがあります。
「主は季節のために月を造られました。太陽はその沈むところを知っています。あなたが闇をもたらされると夜になり、あらゆる森の獣が這(は)い回ります。」
「主」とは天地創造の神様です。そのお方が月や太陽を始めとしてすべてのものを造ってくださり、支配してくださっておられます。すぐあとの詩篇104篇24節にも「主よ あなたのみわざはなんと多いことでしょう。あなたは知恵をもってそれらをみな造られました。地は あなたのもので満ちています。」と書かれています。この世界に生きているものは、決して偶然に存在しているのではなく、また進化してできたものでもなく、意思を持ったお方である神様が創造してくださったのです。これらの聖書箇所の前のほうには「鳥」「こうのとり」「野やぎ」「岩だぬき」なども出てきます。それらの動物にもきちんと住む場所が備えられています。空に見える星や月、太陽が造られたばかりでなく、夜になると「森の獣」が、はい回ると書かれていますように、実際に今でも夜に動き回る夜行性の動物たちも多くいます。そしてこの詩篇104篇全体を読むと、さらに素晴らしいことに気づきます。それは太陽や月、雨も風、山も川、そして水の流れ、すべての生き物たちが、それだけで存在することはできないこと、すべてが深く結びついて、しかも神様によって存在しているということです。
大自然は神様のみわざです。地上は神様が造ってくださったもので満ちています。その大自然を造ってくださった偉大な神様をほめたたえ、賛美することができるならば、なんと幸いなことでしょうか。詩篇104篇33節には「私はいのちの限り 主に歌い 生きる限り 私の神をほめ歌います。」と書かれています。神様がすべてのものを造ってくださったということは、私たち人間をも神様の深いご計画の中で造られ、愛され、今も恵みによって生かされているということです。ぜひこのことを心に留めていただきたいと願っています。