3月となり、日中はだんだんと春の気配を感じる頃となりました。暖冬のためでしょうか。例年よりもさまざまな花々の開花がだいぶ早いように感じます。現在、この日本に限らず世界最大のニュースは「新型コロナウイルス」と言えます。日ごとにその感染が拡大し、人々が不安の中を生活しています。一日も早い収束を願ってやみません。
さて、世界の歴史を振り返りますと、さまざまな疫病と言えるものが発生し、人々に影響を与えました。古代においては「天然痘」、中世から近世にかけては「ペスト」、19世紀には「コレラ」、第一次世界大戦の頃には「スペイン風邪」と言われたインフルエンザによって、多くの人々がなくなりました。テレビなどでも今回の新型コロナウイルスとよく比較される「サーズ」なども近年にありました。聖書を読むと、昔のことになりますが、出エジプトの時代、神様はエジプトに「疫病」をもたらされました。その目的は、エジプトの王ファラオ(パロ)にイスラエルの民を解放させるためでした。聖書を読んでいきますと「疫病」の存在は、造られた今の世界が堕落した状態にあることを示しています。最初の人アダムが神様に背いて、罪を犯し、神様と人間の間だけでなく、その影響が自然界にまで及んだのです。
聖書は「世の終わり」があることをはっきりと語ります。しかしそれは人々の不安や恐怖心をあおるためではなく、必ず起こる出来事として厳粛に語るのです。マタイの福音書24章には次のようなことが書かれています。まずその背景としてイエスさまが紀元70年のエルサレム神殿(ヘロデの神殿)の崩壊を予告したことにあります。弟子たちは素晴らしい荘厳な神殿が、崩壊する話を聞いて、世の終わりの出来事のように思ったのかもしれません。イエスさまの弟子たちはこれらのことを念頭に、ある時イエスさまに向かって、世が終わる時のしるしはどのようなものかとオリーブ山でひそかに質問しました。イエスさまと十二弟子たちの間で取り交わされる会話は、マタイ25章46節まで続きます。箇条書きにまとめると以下のようになります。
①「偽キリストの出現」(4-5節)。すなわち自分をキリストだと自称する人たちはこれまでたくさん出てきました。実際に今回の新型コロナウイルスに関して、その感染拡大の場所の一つが韓国の「新天地イエス教証拠幕屋聖殿」(通称:「新天地」)という異端(新興宗教)からであることはニュースにもなっていました。イエスさまは「人に惑わされないように気をつけなさい。」と何度も警告を与えておられます。しかも何か目を見張るような奇蹟、不思議・しるしを見せられたとしても、惑わされてはならないのです(第二テサロニケ2:1-12参照)。②「戦争と戦争のうわさ」(6-7節前半)、③「ききん」(7節後半)、④「地震」(7節後半)、⑤「迫害」(9節)、➅背教と腐敗」(10-12節)などです。これらはすでに起こっている出来事でもあります。
私たちは、「世の終わり」の前兆の時代を生きていることに間違いありません。多くの教会では毎週礼拝で、「主の祈り」(イエスさまが教えてくださった祈り)の中で、「御国が来ますように」(御国を来たらせたまえ)と祈っていますが、良き知らせである福音を伝えていくことによって、その日を待ち望むことが許されています。神の御国を待ち望みつつ、私たちは自分に与えられた使命や役割を神様の御前に果たしていくのです。
イエス・キリストの良き知らせである「福音」(ふくいん)が宣べ伝えられていない地域を「未伝地」と呼ぶことがありますが、日本ではクリスチャンが少ないために、福音が宣べ伝えられていたとしても、ある意味「未伝地」と言えるかもしれません。海外からの宣教師たちの尊い働きにも関わらず、この日本で、なかなか信仰を持つ方々が起こされず、宣教師が天に召されていくために、日本は「宣教師の墓場」と呼ばれることもあります。
イエスさまは上記の箇所で、「世の終わり」の前兆としていくつかのことを語っておられます。今回の新型コロナウイルスによって「世の終わりが非常に近い」とか「世界の滅びが目の前だ」と私は主張しているのでは決してありません。皆さんの恐怖心や不安をあおるためではなく、アモス書に書かれているように、当時の人たちに向かって、そして私たちに向かって「神に会う備えをせよ」(アモス4:12)と語られていることを心に留めたいと思うのです。あなたは生きておられるまことの神様に会う備えができていますか。