7月に入って、まだまだ梅雨も明け切らず、特に九州地方では大雨による被害と避難指示などが出されました。復旧と復興をお祈りいたします。どの地域であっても、大雨による、川の氾濫、決壊、土砂崩れなどの大きな被害が心配されます。
今年の梅雨は例年に比べて遅い梅雨であると言われています。梅雨の時期になりますと、晴れた日が続かず、どんよりとした雲空や雨空が続き、何かパッとしない時期ですが、皆さんは気分転換や健康維持のために、どのようなことに心がけておられるでしょうか。子どもたちは成長するにつれて、自転車も楽しくなってくるようです。子どもたちと一緒に、遠くでなくても近場に行くことができるようにと、自分用の自転車を買って、子どもたちとサイクリングに行くことも増えてきました。サイクリングといっても本格的なものではなく、近辺だけであったり、近くの公園やため池を周る程度のものです。しかも上の写真にあるように、一番下の子は自転車に「補助輪」をつけて乗っていますが、この「補助輪」は地域によってその呼び名もさまざまで、調べてみると「コマ」と言ったり、「ゴマ」「タマ」「ワンタ」「ゴロ」「ワッカ」などと言うようです。ちなみに私の故郷の群馬では「ハマ」と呼んでおり、「ハマなしで乗れるようになった」というような言い方をします。
山などで乗る「マウンテンバイク」や、よく集団で道路を走っている「ロードバイク」のちょうど中間に「クロスバイク」というものがあり、私は初心者としてクロスバイクに乗っています。その名前の由来ははっきりとしませんが、和製英語のようで、ちょうどマウンテンバイクとロードバイクを掛け合わせたところからそのような名前になったのでしょうか。「クロス」は「十字架」という意味があり、確かに十字架は木を2本掛け合わせたもので、イエス・キリストが死なれたのは一本の杭ではなく、クロスされた十字架であることは、原語的(言語的)にも、歴史的にも、聖書の文脈からも言えます。
聖書の中心人物はイエス・キリストで、聖書の中心テーマはイエス・キリストの「十字架」と「復活」です。聖書のメッセージは「福音」(ふくいん)と言ったり、「よい知らせ」、「良きたより」なとども呼ばれます。しかも「十字架のことば・メッセージ」とも言われます。聖書の中の第一コリント1章18節には、「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救いを受ける私たちには神の力です。」と書かれています。これはパウロという人物がコリントの教会にあてて書いた手紙の一文です。「十字架のことば」は、「キリストご自身についてのことば」とも言えますし、また「キリストが十字架にかかられて、よみがえられたことについてのことば・メッセージ」です。
「十字架のことば」とは、神の御子であり救い主イエス・キリストが十字架にかかったことそして、復活したことです。イエス・キリストの十字架上の死と復活の御業によって、信じる者の罪が赦され、永遠のいのちを得るというものです。また、「十字架のことば」とは、福音のことです。コリントという町の教会ではさまざまな課題がありましたが、その問題の解決は、この福音でした。そして、福音の中心がイエス・キリストの十字架だったのです。それは当時だけに限らず、今の時代においても私たちに語られているメッセージです。
「すべての人は神様に対して罪を犯した存在である」と聖書は語ります。しかし私たちの存在がそのままではなく、神様の恵みやキリスト・イエスによる十字架の贖い・救いが語られます。「十字架のことば」は、確かにこの世界の知恵では愚かに聞こえるかも知れませんが、「神の力」であるとパウロは書いています。十字架のことばを聞いて信じる人はだれでも、罪から救われて、その人生と生活が変えられるのです。
神様の愛が具体的に明らかに示されたこの「福音」を知り、この福音を自分のものとしてくださいますように、そして十字架のことばによって日々生かされていく恵みを体験できますようにお祈りいたします。