12月 牧師感話 ~思うこと・感じること~

早くも12月に入りました。月日が経つのは早く、あっという間に、時が流れていきます。12月は一年で一番忙しい月と言われるからこそ、ふと立ち止まって、一年を振り返ることが必要なのかもしれません。上の写真は昨年のクリスマスイブ礼拝のときのものです。

国分寺キリスト教会では特に11月には旧約聖書のイザヤ書や新約聖書の黙示録などから、将来のこと、特に「新しい天と新しい地」(新天新地)について学ぶことができました。だれでも目標やゴールを目指して生きることは大切なことです。もちろん人生の具体的な目標を持っておられない方もいらっしゃいますし、将来のことは分からないというのが正直なところかもしれません。しかし、人生の目標やゴール、私たちがどこに向かっているのかをはっきりと知るならば、またそこを目指して生きるならば、今をどのように生きたらよいかということに大きな影響を与えます。しかも、ゴールの後に何をするのか、ということを知ることはさらに大切なことです。聖書が語る「新天新地」は、イエス・キリストを救い主として信じる者に与えられる究極的な場所であり、永遠の世界です。そこには、今の世界にある「涙や死、悲しみ、叫び声、苦しみ」がまったく過ぎ去った場所なのです(黙示録21章1-4節)。今のこの罪に支配された世界ではなく、まったく新しい世界と言えます。新天新地に行くことだけがゴールなのではなく、そこで完全な礼拝がささげられます。そのことのために、まず神様は御子イエス・キリストをこの世におとめマリアを通して、生まれさせてくださいました。

特にクリスマスに関して、ルカの福音書2章には、「御使い」(天使)と羊飼いが登場してきます。御使いは羊飼いたちに向かって「・・・私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。」と言いました。「この民」とは直接的には、イスラエルの民を指しています。しかしそれだけでなく、現代に生きる私たちも指しています。そしてその「大きな喜び」とは、すぐあとの「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ2章11節)なのです。

「今日」とは今から約2000年も前のことです。「ダビデの町」とは旧約聖書に出てくるダビデという王が生まれたベツレヘムです。ですからこの「あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」ということばは、直接そこに居合わせた羊飼いたちだけに言われただけでなく、世界のすべての人々に対して、そして現代に生きる私たち一人ひとりに対する語りかけでもあるのです。キリストは今から約2000年前、突然にこの地上にお生まれになったのではなく、キリストが生まれるずっと前から旧約聖書に繰り返し預言されていたことの成就として、神様の最善の時が来た時に、お生まれになりました。

「クリスマス」はキリストのご降誕を深く思い巡らす時です。神様ご自身がイエス・キリストを遣わしてくださったこと、すなわち神様の側のほうで、神の御子であり救い主であるイエス・キリストをこの世界に、私たちの側に、プレゼントとして送ってくださいました。人類は、神様によって造られたにもかかわらず、神様に背を向けて、さまよっています。まさに暗やみの中を、もがきながら生きていると言えるかもしれません。そのような罪深い人間のために、キリストはお生まれになったのです。そして、のちの十字架の身代わりの死と埋葬、確かな復活、天に帰られる昇天、そして再び来られる再臨の約束、その後の千年王国と究極的な世界である「新天新地」というものを聖書を通して知るならば、生きる希望が湧き上がり、生きる意味とその目的がはっきりしてくるのです。

このクリスマスの時期、聖書を通して真の喜びに満たされますように。国分寺キリスト教会ではこの時期クリスマスの諸集会を予定していますので、ぜひ、どなたでもおでかけください。心よりお待ちしております。