10月 牧師感話 ~思うこと・感じること~

あっという間に10月に入りました。7月から集中豪雨、地震、台風、地震、台風と立て続けに起こり、何か不安な日々を過ごさなければならない今日この頃です。日本だけでなく、世界各地でも自然災害がニュースとなっていますが、いつ私たちの身に降りかかるか分からない中にあって、私たちも自然災害に備えたいものです。

聖書は動物図鑑でもなければ、生き物について詳しく書かれている本でもありません。しかし、聖書全体を読んでみると、実にたくさんの動物や生き物が登場してきます。同じことばであったとしても、例えば、当時のある動物が、現代における同じ動物を指しているのかどうかは分かりませんが、はっきりしていることは、この地上の動物、昆虫など生き物は生きているということ、その動物もやがて死んでいくという現実があります。そもそも聖書の一番初めの「創世記」には、神様が動物を造ってくださったことが書かれています。そして時が過ぎて、ノアという人物は箱舟を作り、神様がその箱舟に多くの動物を乗せたという歴史的事実の記事が書かれています。

10月21日(日)の礼拝は、子どもたちと一緒の礼拝で、教会に来ている子どもたちをも意識して聖書のお話をする予定ですので、身近な生き物についてお話する予定にしています。興味深いことに「詩篇」という箇所は聖書の中で、一番多くのページを割いていますが、詩篇104篇には次のようなことばがあります。

「主は季節のために月を造られました。太陽はその沈むところを知っています。あなたが闇をもたらされると 夜になり、あらゆる森の獣が這い回ります。」(詩篇104篇19-20節)

すぐ後の詩篇104篇24節を見ても明らかなように、天地創造の主なる神様が月や太陽を造ってくださったと書かれています。それは決して偶然に、何かが爆発してできたのではなく、意思をもったお方が創造してくださいました。それは空に見えるものだけでなく、夜になると森の獣がはい回ると書かれていますように、専門的なことは分かりませんが、例えば、現代で言う「ふくろう」や「こうもり」、「むささび」や「たぬき」などを指しているでしょうか。まさに夜、行動する生き物も存在しています。

詩篇のすぐ後の「箴言」という箇所でも知恵を持っている生き物の例えとして、「この地上には小さいものが四つある。それは知恵者中の知恵だ。蟻は力のないものたちだが、夏のうちに食糧を確保する。岩だぬきは強くないものたちだが、その巣を岩間に設ける。いなごには王はいないが、みな隊を組んで、出陣する。ヤモリは手で捕まえられるが、王の宮殿にいる。」(箴言30章24-28節)生き物好きの子どもたちにすれば、このような聖書箇所は理解しやすいかもしれません。動物や昆虫、生き物などすべてを造ってくださった神様は、私たち人間をもご自身の目的をもって造ってくださいました。私たちは神様によって造られ、愛され、今も生かされているからこそ、この創造者である神様に賛美と感謝をささげることが本来のあるべき人間の姿です。同じ詩篇104篇33-34節には「私はいのちの限り 主に歌い 生きるかぎり 私の神をほめ歌います。私の心の思いが みこころにかないますように。私は 主を喜びます。」と告白しています。

「私たちはなぜ、この世界に存在するのか」という問いかけは多くの人の問いかけでもあります。「なぜ生まれ、なぜこの世に生き、このあと、死んだらどうなるのだろうか?」という、根本的な疑問に対する究極の答えは、聖書の中に、しかも、イエス・キリストの十字架のうちにあるのです。ぜひ、教会の礼拝や集会において、あるいは聖書そのものを読むことによって、真の答えを見いだすことができますようにお祈りいたします。