2021年6月 牧師感話 ~思うこと・感じること~

早くも6月となりました。梅雨の時期ですが、ここ香川県は比較的雨が少なく、晴れている日は暑いくらいです。今年の夏はどのような夏になるでしょうか。これから日ごとに暑くなっていきますが、コロナ禍にあって皆様のご健康が支えられますようにお祈りいたします。

先日、5月10日(月)に国分寺キリスト教会にて、牧師会が開かれました。関わりのある牧師たちが教会に集まり、近況を報告したり、祈りの課題を出し合います。コロナ禍ということもあり、換気のために窓を開けて、玄関のドアも開けっ放しにしていました。そうしたらどうでしょうか。牧師会が始まる前に、一羽のツバメが礼拝室に入ってきました。天井が比較的高いために、なかなか捕まえることができません。虫網があったのですが、それではまったく届かないのです。ツバメにとっても、何かあおられているように感じたのでしょうか。天井のあちらこちらを飛び回り、何か落ち着きがありませんでした(しかも、この日だけでなく23日(日)の礼拝の時にも、ツバメは入ってきました)。だれかの家に遊びに行ったりすると、家の玄関先にツバメが巣を作ってある光景をよく見かけることがあります。ツバメはそのような習性があるのでしょうか。「鳥の図鑑」などを読みますと、親ツバメがヒナにえさを与え、ヒナが一生懸命にえさを食べようとしている写真がよくあります。

礼拝室の中で、かろうじてツバメが留まり落ち着くことができるのは梁の上だったり、エアコンの上だったりしました。そしてなんと十字架の上にも、ツバメは留まったのです。ツバメは十字架のもとに安らぎを得たのでしょうか。ツバメは十字架の上で羽を休めて、まるで憩いをとっているように見えました。それも一瞬ではなく、長時間しかも再度飛び回っても、行きつくところはやはり十字架でした。

聖書の詩篇84篇1-4節にはこのようなことばがあります。
1 万軍の主よ。 あなたの住まいは なんと慕わしいことでしょう。
2 わたしのたましいは 主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も身も 生ける神に喜びの歌を歌います。
3 雀さえも 住みかを 燕も ひなを入れる巣を あなたの祭壇のところに得ます。万軍の主 私の王 私の神よ。
4 なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。 彼らはいつも あなたをほめたたえています。

この詩篇の作者はどのような状況の中で、この詩篇を書いたのでしょうか。ここに出てくる「あなたの住まい」「主の大庭」「あなたの祭壇」「あなたの家」とあるのはエルサレムにあった「神殿」のことを指していると考えられます。この詩篇の作者は、そこにいた雀や燕に目を留めています。実際にツバメが巣を祭壇に作ったのでしょうか、象徴的に言い表しているのでしょうか、いずれにしても、作者が言おうとしていることがよく分かります。「神殿」は神様がご臨在される場所、目には見えない神様がそこに臨んでくださる場所だったのです。作者は、雀や燕の様子を描くことによって、自分のこと、また人間のあるべき大切な姿を描いています。作者は自分のたましいが「主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりである」と告白しました。しかも「心も身も生ける神に喜びの歌を歌います」とまで言いました。さらには「あなたの家に住む人たち」すなわち神殿に入ることを許された人たちは「なんと幸いなことでしょう」と神様に向かって宣言しています。「幸い」が何であるかを詩篇は繰り返しています。

神様に喜びの歌を歌うこと、神様をほめたたえることは、まさに礼拝を通してできるものです。人間にとって一番大切なことは、「私たちが造られた存在」として、「私たちを造ってくださったお方」である真の神様に感謝と喜びをもって礼拝をささげることなのです。皆さんにとって変わることのない「幸い」とは何でしょうか。
結局、ツバメは比較的天井の低い集会室のほうに行き、窓のほうに近づいたため、網で捕らえて、そのまま外に逃がしました。もっと教会の建物の中にいたかったのかもしれません。鳥にとって「住みか」や「巣」とはまさに安らぐ「居場所」です。神様が用意してくださる居場所、いや、神様ご自身が私たちにとって安らぐことのできるお方ですから、神様にあって真の平安があります。皆さんにとって心の内側が安らぐところはどこでしょうか、あるいは何によって、だれによって真の平安と喜びを得ることができるでしょうか。そのことを自分自身に問いかけていただきたいと心より願っています。