4月 牧師感話 ~思うこと・感じること~

早くも4月になりました。美しい桜も咲き誇っています。日にちの経過とともに雨や風ですぐに散っていきますが、春の花々が次々と咲いているのは嬉しいことです。過ごしやすい時期になりましたが、新型コロナも未だに収束に至らず、花粉症や黄砂などの時期とも重なっています。この時期も皆さんのご健康が支えられ、守られますようにお祈りいたします。

4月は新年度であるために、いろいろな変化があります。またその変化の中で生活する私たちは、その変化への適応が求められることも多くあります。現代ではいろいろなカレンダーがあり、その月・その日の「記念日」が書かれている専門的なカレンダーもあります。たとえば4月2日は「図書記念日」、4月15日は「よい子の日」、4月18日は「よい歯の日」、4月28日は「缶ジュース発売記念日」など、同じ日でもいろいろなタイトルがついている日もあれば、語呂合わせで作られている日もあります。市販のカレンダーにはほとんど取り上げられることがありませんが、今年の4月4日(日)はキリスト教会にとって、「イースター(復活祭)記念礼拝」の日です。つまりイエス・キリストが死から復活された歴史的事実を記念する礼拝の日です。イースターは年によって日が違います。その理由は「春分の日の後の最後の満月の次の日曜日」に記念として礼拝がささげられるため、日付が変わりますが、日曜日であることには変わりありません。全世界のキリスト教会で行われます。

復活の出来事については新約聖書の福音書にまとめられています。特にルカの福音書24章において、女性たちはイエスさまの遺体に香料を塗るために、イエスさまが葬られた墓に行ったところ、御使いが彼女たちに語られました。

「彼女たちは恐ろしくなって、地面に顔を伏せた。すると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。 ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話しになったことを思い出しなさい。 人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう。 彼女たちはイエスのことばを思い出した。」

御使いたちはそこで女性たちに、キリストはよみがえられて、ここにはおられないことをはっきりと告げ、ガリラヤで弟子たちにお会いになるということを伝えます。イエス・キリストがよみがえられるということは、ご自身が前もって繰り返し言われたことでした。女性たちはイエスさまのことばを思い起こしたのです。イエス・キリストは神の御子であられるゆえに、死の力を打ち破り、復活されました。つまり「死んで終わり」ではなく、今も「生きている方」なのです(5)。さらには新約聖書の手紙(書簡)の中には、パウロという人物がイエス・キリストの十字架の死と埋葬、そして復活などを簡潔にまとめている箇所があります。

第一コリント15章3-5節でパウロはコリントの教会の人たちに宛てて書き記しています。

「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに私たちの罪のために死なれたこと、 また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに三日目によみがえられたこと、 また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」

パウロは「聖書に書いてあるとおりに」と記すことによって、それが偶然に起こった出来事ではなく、そのようになるという旧約聖書の約束の成就として、実現しました。特に3節:「私たちの罪のために死なれたこと」(十字架の死)、4節:「葬られたこと」(埋葬)、「三日目によみがえられたこと」(復活)、5節:ケファ(つまりペテロ)に現れ、それから十二弟子に現れたこと(顕現)は福音(良き知らせ)の中心です。私たちはなぜ生きているのか、どうして死というものが存在するのかということは、聖書を抜きにして解決はありません。イエス・キリストの十字架の死と復活の意味を、聖書を通して知り、信じる時に、霊的に新しく生まれさせていただくことができるのです。イエス・キリストが死からよみがえられ、「死」に勝利されたからこそ、イエス・キリストを救い主として信じる人たちもキリストにあって、すでに根本的な「死」に勝利しています。しかも、キリストの十字架の死と三日目の復活は、信じる人を究極的な「罪」と「死」と「滅び」から完全に救う確かな保証となっています。

イエス・キリストの復活のゆえに、たとえこの地上のいのちを終えようとも、やがて、信じる人たちが復活する(つまり栄光のからだが与えられる)という大きな希望と約束が与えられているのです。この聖書のすばらしい約束を、ご自分のこととして受けとめることができますように。