9月牧師感話 ~思うこと・感じること~

9月に入っても暑い日は続いていますし、今もなお、過日の豪雨被害に遭った地域の復旧や復興、被災した方々の避難生活は続き、行政やボランティアの方々の働きは途絶えることがありません。教会関係のニュースでも知りましたが、実際に被害に遭われた教会(会堂)や教会員宅もあったようで、引き続き、とりなしの祈りをささげていく必要を感じます。

9月1日(火)と4日(金)に、この国分寺町周辺では珍しく「雷」が鳴り、稲光のようなものが何度かありました。ちょうど小学生や園児にとっては帰る時間あたりでしたので、雷に慣れない子どもたちには、多少の恐れや不安があったことだと思います。実際に、自分の子どもたちも幼稚園や小学校が終わってから、「雷」の話をしてきました。何度か故郷の群馬県の自然について書いていますが、群馬県には雷が多く、私が小さい頃、特に夏場には毎日のように夕立として激しい雨と大きなとどろきの雷がありましたし、その規模もこの国分寺町のものとは違うくらいの大きいものでした。しかも落雷もたびたびあり、家のテレビが壊れるということもありました。気象などの専門的なことは分かりませんが、小学校低学年から約40年が過ぎていますので、雷や落雷の頻度も変わってきているかもしれません。

イエス・キリストには12人の弟子がいました。それぞれの弟子が特徴や性格を持っていたことでしょう。そのうちの一人がゼベダイの子ヤコブという人物でした。当時、ありふれた名前だったと思いますが、聖書を読むと、彼のあだ名は「ボアネルゲ」(雷の子)と説明されています(マルコ3章17節)。そのヤコブの兄弟であるヨハネも「ボアネルゲ」というあだ名がつけられました。「雷」については先程、説明しましたように、激しい落雷をイメージさせますから、ヤコブもヨハネも恐らく気性の激しい、まっすぐな人物だったに違いありません。これと決めたらそれに向かって真っすぐに進む人物だったことでしょう。福音書を読むといくつかの場面で、自分たちの行動やことばが空回りをして、イエスさまに、たしなめられることがありました。さらに、この2人には自己中心的なところもありました。ある日、2人はイエス・キリストのところへ来て、天の御国で自分たちをイエスさまの両側に座らせて欲しいと願いましたが(マルコ10章35-44節)、これを聞いた他の弟子たちは、当然のことながら、この2人に腹を立てたと書かれています(マタイ20章24節)。

ヤコブとヨハネは、12弟子の中でも中心的な人物でした。そのような彼らはイエスさまの十字架の死と復活、そして昇天後、ヤコブは早い時期に迫害により殉教したと言われます。そしてヨハネは晩年には新約聖書のヨハネの福音書、3つのヨハネの手紙、そして黙示録を書きました。「神の愛」や「愛すること」について、ヨハネの福音書やヨハネの手紙に繰り返して書いていますが、その中で「神の愛」を凝縮して表現している箇所をここに記します。

ヨハネの手紙第一4章7-10節

「7 愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。8 愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥(なだ)めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」

激しい気性の持ち主で、「雷の子」と呼ばれたヨハネが、「愛に満ちた使徒」と変えられていき、このように神の愛を明確に書き記すことができたのも、神の愛に触れ、神の愛を自分のものとして、神の愛によって生かされ続けたからではないでしょうか。人間はまことの神の愛に触れられると変えられていきます。その愛は人間の愛ではなく、無条件の愛、限りない愛、相手をどこまでも愛し尽くす神の愛だからです。この世界情勢の中にあっても、聖書の最大のテーマである「神の愛」、「神の御子イエスの十字架の死と復活を通して私たち人類に示された神の愛」を一人でも多くの人たちが知ることができますように、またその愛を受け入れることができますように、心からお祈りいたします。