12月 牧師感話 ~思うこと・感じること~

早くも12月に入りました。「月日が経つのは早い」ということは、年を重ねれば、重ねるほど、深く実感します。小さい頃は、月日にあまり左右されずに生きていますが、大人になると時間に追われ、時間に縛られ、左右されながら生きていますし、あっという間に、時は流れていきます。写真にありますように、国分寺キリスト教会はこの12月に新しい礼拝堂(会堂)が完成しました。詳細な写真は随時、教会のホームページに載せていく予定です。このクリスマスの時期、クリスマスの諸集会とオープンチャーチ(内覧会)を開催していますので、チラシやホームページをご覧くださり、ぜひ教会へとおでかけください。

神様と私たち人間の間には、大きな「へだたり」「断絶」があると、教会でよく言われます。つまり人間の「罪」というものが原因で、真の神様のもとには、人間の力では届かない、到達できないということです。「罪」とは、真の神様を神様としないこと、神様に背を向けて、自分の思うままを歩むこと、的外れな生き方のことを指しています。本来あるべき姿からほど遠いのが、人間の現実の姿です。それゆえに、神様の愛に応答できない生き方となり、空しい生き方となってしまいました。

両岸に「橋」があって初めて、あるいは「船」に乗って初めてその川を渡ることができるように、神様のもとに帰るためには、神様ご自身が用意してくださったものを手段としなければなりません。しばしば人間は自分の努力や修行あるいは良い行いによって、「カミサマ」に受け入れられようとします。しかし私たち人間はそのようなで、聖なる、そして義なる神様に受け入れられることはできません。聖書にはこうあります。

「神はそのひとり子(イエス・キリスト)を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって、神の愛が私たちに示されたのです。」(第一ヨハネ4章9節)

神様ご自身がイエス・キリストを遣わしてくださったこと、すなわち神様の側から、神の御子であり救い主であるイエス・キリスト、まったく罪のない、聖いお方をこの世界に、私たちの側に、贈り物(プレゼント)として送ってくださいました。イエス・キリストの誕生は、今でも世界各地で記念され、互いに祝われています。人類は、神様によって造られたにもかかわらず、神様に背を向けて、さまよっています。まさに暗やみの中をもがきながら生きていると言えるかもしれません。そのような罪深い人間のために、神様は、おとめマリヤを通して、愛する御子イエスを生まれさせてくださいました。神様自らが、救い主イエス・キリストを通して、人間の側に近づいてくださったのです。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥(なだ)めのささげ物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(第一ヨハネ4章10節)

約2000年前に、歴史的事実として、神様は救い主(メシア)であるイエスさまをお与えくださり、神様の愛が具体的に明らかにされました。私たちはそのことを本当のクリスマスとして、心から感謝し、神様に礼拝と賛美をささげ、互いにお祝いするのです。

今月、国分寺キリスト教会では、クリスマスの諸集会を予定しています。クリスマスの諸集会以外でも、いつでも新しい礼拝堂を内覧できることができます。ご興味のある方はぜひ、気軽におでかけください。

このクリスマスの時期、あなたの心に、救い主イエス・キリストをお迎えできますように、そして真の平安に満たされますように、そのためにも聖書が語る救いがどのようなものであるかを知ることができますように。