10月 牧師感話 ~思うこと・感じること~

10月に入り、本格的な秋を迎えています。行楽の秋とも言われますが、先日、家族で塩江町にある「不動の滝」に初めて行きました。それほど大きな滝ではありませんが、香川県にある代表的な滝の一つかもしれません。

さて、国分寺キリスト教会では、毎年10月の毎週日曜日に「歓迎礼拝」を行なっています。歓迎礼拝というのは、教会に来られて間もない方々、教会にまだ行ったことのない方々、あるいは行きたいけれど、行ってもいいのか迷っている方々、聖書のお話・メッセージを聞いてみたい方々、あまり行きたくないけれども、家族や友人にお誘いを受けて、それなら行ってみようと思う方々をご招待し、歓迎する礼拝です。もちろん礼拝の中心は神様です。聖書のメッセージもできるだけ基礎的なこと、基本的なこと、核心的なことをお話するように心がけてお話します。詳細については別の案内をご覧くださって、ぜひ礼拝とその後に持たれる集会へとおでかけください。礼拝後もティータイムや行事を用意していますので、皆様の来会を心よりお待ちしております。

先程、「滝」について触れましたが、聖書の中にも「滝」について書かれている箇所があります。旧約聖書の詩篇42篇7―8節では、ある詩人(著者)が神様に向かって歌っています。「あなた」とは神様を指しています。

「あなたの大滝のとどろきに 淵が淵を呼び起こし あなたの波 あなたの大波はみな 私の上を越えて行きました。昼には 主が恵みを下さり 夜には 主の歌が私とともにあります。」

聖書の背景となっている乾燥したイスラエルの土地の大半は荒野であると言われます。夏の一番暑い時期には干上がってしまう滝も多いようですが、それでもかなりの数の滝があるそうです。私の手元には「聖地フォトガイド」(いのちのことば社発行)という現在のシナイからイスラエル、ギリシャなどを紹介している小さな写真集があります。その中には、「川」や「泉」、「湖」や「海」、「流れ落ちる水」の写真も掲載されています。この詩篇が書かれた背景についての詳細は省略しますが、詩人が苦難と逆境の中にいたことが、この詩篇42篇全体から伝わってきます。

ここでの「大滝」「波」「大波」は文字通りのものというよりも、作者が直面し、経験した苦難や逆境を詩的に描いていると考えられます。苦難や逆境のただ中にあっても、神様の恵みをしっかりと受け止め、心からの祈りと賛美を神様にささげています。塩江の「不動の滝」もすぐ近くまで降りていくことができます。高いところから水が絶えず水面を強く打つので、直接はその真下には長く立っていることはできません。至近距離で見ることはできますが、圧倒されそうになります。この詩人が抱えていた問題は、まるで絶え間なく襲ってきて、絶えず彼を強打する大滝のようだったに違いありません。しかし、苦難や逆境の中にあるこの詩人の告白はこの後を読むと「神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い 私の神を。」(詩篇42篇11節後半)でした。つまり、ある意味、「絶望という思い」から「神様への賛美」へと自分の心が移っています。

聖書を読むと神様がどのようなお方であるのかが分かります。何か漠然とした存在ではなく、信じる人に対して生きて働くお方です。しかもこの詩人も含めて私たち人間が神様に祈り、賛美し、「神を慕い求める」(詩篇42篇1節)ことができますし、しかも「心を、たましいを注ぎ出す」ことができるのです(詩篇42篇4節)。ぜひ聖書を通して神様の偉大さ、イエス・キリストの十字架のすばらしさを知ってくださいますようにお祈りいたします。

そして、ぜひ、教会へとお出かけください。