5月 牧師感話 ~思うこと・感じること~

早くも5月を迎えましたが、いかがお過ごしでしょうか。今年の連休は故郷の群馬県に、数日帰省させていただきました。前半は雨模様でしたが、後半には晴れた日が続きました。香川から見ると、群馬は距離的には800キ以上も離れているようで、普段、気軽に会うことのできないお互いにとって大切なひと時でした。写真は、市内にある公園で子どもたちが遊んでいるところです。

子どもたちも毎日の、いわゆる決まった単調な生活から離れて、祖父母に会って話したり、いろいろと遊んでもらったり、比較的自由な時間を過ごすことができましたので、心もからだもリフレッシュでき、気分転換を図ることができたということが、大きな収穫でした。それは子どもたちの表情や態度からも明らかでした。もちろんどこにいてもケンカをすることに変わりはありません。いくつかのところに行きましたが、その一つに群馬県館林市出身であり、元宇宙飛行士であられた、「向井千秋記念子ども科学館」に行きました。そこでは、向井さんの宇宙飛行の記録だけでなく、子どもたちが楽しめるような科学実験や模型、群馬の動植物の標本などなどさまざまなものがありました。宇宙の疑似体験(ムーンウォーカー)ができたり、プラネタリウムも楽しめる場所です。ただ、その科学館自体、宇宙の誕生や生命の誕生が「進化論」に立ったものですので、聖書に堅く立つ「創造論」とは相反するものであり、一人でも多くの方々が、聖書の創造の素晴らしい記事を事実として知っていただきたいと願わされました。庭や公園でのキャッチボール、また市内の公園で遊ぶこともできましたし、楽しいことと同時に疲れたために、子どもたちにとっては、ぐっすりと眠ることができたのだと思います。親として、子どもたちが置かれた現状のことを考えると自分が「まったく眠れない」ということはありませんが、心配と悩みの種が尽きることがありません。これから、さらに成長する中で、さらにそれが多くなることでしょう。詩篇4篇8節には次のようなことばがあります。

「平安のうちに私は身を横たえ すぐ眠りにつきます。 主よ あなただけが 安らかに 私を住まわせてくださいます。」

この詩篇の作者はダビデであると考えられます。ダビデ自身もさまざまな困難な中で、夜も眠られぬ夜を過ごすことがあったかも知れません。彼にとっての避け所、とりで、助けが、生けるまことの神様だったのです。詩篇4篇全体から考えると、「家庭」のことを語っているわけではありませんが、祈りの中で、自分が持っている課題を神様に正直に伝えることを学ばされます。神様はすべてのことをご存知ですが、私たちが神様の御前に心を注ぎ出すことを願っておられるのです。

しかも、私たちが、普段何を第一に求めておられるのかということを、神様によって問われ、心探られます。神様は私たちのすべてをご存知のお方であられ、目を向けてくださっておられ、課題を最善に導いてくだると確信できるのです。そうすることによって心に喜びが与えられ、平安のうちに眠りにつくことができるということです。もちろん、すぐに、聖書のことばが私の心のうちにとどまって、まったく恐れなくなるとうことではありませんが、平安のうちに、横になり、眠りにつき、神様だけが、心に安らぎを与えてくださるのです。単なる「睡眠や眠り」のことをここで述べているわけではありませんし、「心の平安論」を語っているのではなく、神様ご自身が私たちにどのように関わり、取り扱ってくださるかということが注目すべきことです。

皆様は詩篇4篇8節のようなことばを読んでみて、どのような時に、実際にそのように告白できるでしょうか。聖書の神様を自分の神様として信じ、歩んで行く時に、十字架上のイエス・キリストに示された神様の愛の素晴らしさ、聖書の約束の確かさの中に生かされていくことができるのです。