7月 牧師感話 ~思うこと・感じること~

7月に入り、日ごとに暑さが増し加わっていく時期を迎えています。写真は丸亀市を流れる土器川です。現在、世界ではサッカーのワールドカップがにぎわいを見せ、日本もかろうじて予選を突破して、決勝トーナメントに進出しました。今後の結果はどうなるでしょうか。

サッカーに限らず、スポーツの世界でも日常生活でも水分は不可欠のものです。サッカー選手も試合中、いつ水分を補給しているのかと思うほどに、走りに走って、ボールをパスしたり、止めたり、点を取ろうと懸命に動き回ります。

国分寺キリスト教会では先日、旧約聖書エズラ記3章で「仮庵(かりいお)の祭り」について学び、さらに、イエス・キリストの時代の「仮庵の祭りでの出来事」についてヨハネの福音書7章から学びました。「仮庵の祭り」とは、昔、エジプトを脱出したイスラエルの民が荒野で40年間放浪したこと記念する祭りでした(レビ記23章42-43節参照)。元々は秋の収穫祭を祝った祭りでしたが、後に捕囚からの帰還を記念する意味を持つようになったようです。第七の月(現在で言う10月)の15日に始まり、8日間にわたって祝われ、質素な小屋に住みました。キリストは、仮庵の祭りの最後の日に、人々に向かって大切な宣言をされました。

「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。』」 (ヨハネの福音書7章37-38節)

「だれでも渇いているなら・・・わたしのもとに来て飲みなさい」とあるように、すべての人が招かれています。人間の渇きを一時的に満たすのではありません。この箇所の後を読んでいきますと、イエス様はやがて遣わされる聖霊について語られます。イエス様を信じる人のうちには聖霊が住んでくださり、私たちの心の飢え渇きを満たしてくださいます。イエス様を信じる人の「心の奥底」から「生ける水の川」が流れ出るようになると約束してくださいました。

「飲み水」もお茶やジュースも実にさまざまな種類のものが販売されていますし、飲みものは、日本人の健康志向に拍車をかけています。かつて私はペットボトル、空き缶、空きビンなどを選別する工場で仕事をしていましたので、実に数えきれないほどの種類のものがありました。採水地と言って、水が採れる場所もいろいろなところにありますし、それが商品となります。その地方にしか売られていない、いわゆる「ご当地飲み物」もあるのは皆さんがご存知の通りです。水一つとってみても、さまざまな会社がいろいろな商品名をつけて販売しています。確かに、水は人間の喉を潤し、力を回復させます。しかし、また渇くのです。

背景は省略しますが、ある時、イエス・キリストは、井戸で出会った一人の女性に向かって語られます。

「イエスは答えられた。『この水を飲む者はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。』」(ヨハネの福音書4章13-14節)

のどの渇きは、水などで潤すことができますが、私たちの心の渇き、たましいの渇きは水ではできません。つまり生けるまことの神様への渇き、心の渇きを、目に見える物質的なもので満たそうとしても、決して満たすことはできないということです。しかし御子イエス・キリストを救い主として信じることを通して、聖霊が宿り、心の渇きがいやされ、生ける水の川が流れ出るようになるのです。

あなたを造られた創造者である神様が、その渇きをいやそうと、あなたを招いておられます。「だれでも」と書かれています。人間が本来、生きるべき本当の目的と意味が分かるとき、あなたに真の希望が与えられ、本当の「幸い」を見出すことができるのです。