2018年1月 牧師感話 ~思うこと・感じること~

新しい年を迎えました。さて、皆さんは、新しい一年をどのような思いをもって迎えられたでしょうか?皆さんそれぞれがいろいろな計画を立てたり、今年こそは、このことを実行してみたい、挑戦してみたいということもあると思います。皆さんそれぞれが、いろいろな目標や抱負、予定などを持っておられることでしょう。

私の生まれ育った環境は、振り返りますと新年になるといわゆる伝統行事として神社や厄除け大師に参拝し、お寺に行くというものでした。かつて家には同時に神棚と仏壇があり、何の矛盾も感じないまま、過ごしていました。家族はお盆には墓参りをすることを欠かしませんでしたし、母もクリスチャンになる前は、仏壇に供えるお茶とお水を毎朝取り換えて、ひざまずいて手を合わせ祈る姿がありました。父親は、神棚を載せる棚板を自分で作ったという記憶が私にはあります。会社からのお給料をいただくと、茶封筒をまず仏壇にささげ、「鈴」(りん)をチーンと鳴らしていました。それなりの宗教心【信仰心ではなく】というものはあったのかもしれません。しかし家族が聖書を通して真の神様を知った時、天地万物を造られた神様を礼拝し賛美することこそが私たち人間に与えられた最大の使命であることを理解したのです。聖書の一番最初の創世記1:1に「初めに、神が天と地を創造された。」という短い文ではありますが、ここにこそ、すべての原点があると思うのです。そして旧約聖書の箴言16章には次のようなことばがあります。

16:1 人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる。

「主」とは天地万物の創造主、造り主なる神様のこと指しています。一般社会において多くの日本人は神様が私たちの計画に対する答えをくださるとは考えません。心に抱く計画もそしてその答えも自分のもの、自分が作り出すものと考えるのではないでしょうか。自己実現こそが人生の究極の目的であると考える人もいます。しかし、事実として、人はいろいろと考え、計画し、行動しますが、物事は必ずしも自分が思ったようには進まないものです。むしろ予想や期待に反することはいくらでもあります。人間には限界があり、人間はものごとのすべてを知り得ることのできない存在です。「自分は自分で何でもできる」、「人間はどんなことも可能だと思えば、可能だ」「自分の人生は自分で切り拓き、自分が人生の主人公である」というように考える人もいます。「弱さ」や「無力さ」を認めない、あるいは認めたくない人間の現実というものは確かにあります。人は心に計画を持ちますが、神様を信じる者にとっては、神様がその答えをくださるのです。

16:9 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。

人が心に自分の道を「思い巡らす」のは自然な姿です。1日の予定を立てることは場合によっては必要です。将来について思い巡らすことも大事です。私たちが計画したことがどう成就するかは、神様が決めることです。目の前に展開することがらに、あるいは目に見える結果や変化に一喜一憂することが私たちにあります。しかし、主なる神様の時に、神様の最善がなされることを信じて祈りつつ、私たちも私たちの側で最善を尽くすのです。まさにその人の歩みを確かなものにするのは主なる神様なのです。

私たち人間は、自分の力で生きていると思ってしまいますが、神様によって生かされ、神様の支配と主権の中にあるのです。それは神様が私たちを深く愛し、あたたかいまなざしをもって導いてくださることでもあります。聖書を通してこの天地万物の創造者なる神様を知り、そして信じ、導いていただく歩みこそが幸いな人生の始まりです。神様からの祝福と平安が豊かにありますように、お祈りいたします。