牧師感話 12月 ~感じること・思うこと~

早くも12月に入りました。年月が経つのは早く、あっという間に、時が流れていきます。12月は一年で一番忙しい月と言われるからこそ、ふと立ち止まって、1年を振り返ることが必要なのかもしれません。まだ終わっていませんが、皆さんにとってどんな一年だったでしょうか。いろいろなことが想い出されることと思います。

国分寺キリスト教会では11月下旬から聖書が語る「喜び」ということについて、礼拝の中でご一緒に学んできました。「喜び」という言葉一つとってみても、意味がとても深いのです、旧約聖書の詩篇という箇所には「喜び」「喜ぶ」「喜びとする」というような表現が何度も出てきます。特に細かいところは省略しますが、神様はダビデという人物に対して、多くのことをしてくださり、彼が危機的な状況の中にあって、そこから神様が救い出してくださったことに対して、詩篇18篇19節で「主は私を広い所に連れ出し、私を助け出された。主が私を喜びとされたから。」と告白しています。自分が主なる神様にとっての喜びの対象であることを知ること、また自分が神様に愛されている存在だという確信を持ち続けることこそ、困難な状況にあっても、大切なことでしたし、私たちにとっても必要なことなのです。

新約聖書でも、やはり「喜び」が一つのテーマです。特にクリスマスに関して言えば、ルカの福音書2章には、御使いと羊飼いが登場してきます。御使いは羊飼いたちに向かって「今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。」と言いました。「この民」とは直接的には、イスラエルの民を指しています。しかしそれだけでなく、現代に生きる皆さんも含まれています。そしてその「すばらしい喜びの知らせ」の内容がすぐ後の2章11節に書いてあります。

2:11きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

「きょう」とは今から約2000年も前のことです。「ダビデの町」とは旧約聖書に出てくるダビデという王様が生まれたベツレヘムというところです。ですからこの「あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」ということばは直接そこに居合わせた羊飼いたちだけに言われただけでなく、世界のすべての人々に対して、そして現代に生きる皆さん一人ひとりに対する語りかけでもあります。イエス・キリストは今から約2000年前、突然にこの地上にお生まれになったのではなく、キリストが生まれるずっと前から旧約聖書に繰り返し預言されていたことの成就として、神様の定めの時が来た時に、お生まれになりました。まさにそれは神様の最善の時だったのです。

「クリスマス」は楽しく過ごすということ以上に、メシヤであるイエスのご降誕を記念する時です。神様ご自身がイエス・キリストを遣わしてくださったこと、すなわち神様の側のほうで、神の御子であり救い主であるイエス・キリストをこの世界に、私たちの側に、贈り物(プレゼント)として送ってくださいました。イエス・キリストの誕生は、今でも世界各地で記念され、互いに祝われています。人類は、神様によって造られたにもかかわらず、神様に背を向けて、さまよっています。まさに暗やみの中を、もがきながら生きていると言えるかもしれません。そのような罪深い人間のために、御子イエスはおとめマリヤを通して、お生まれになったのです。まさに神様自らが、救い主イエス・キリストを通して、人間の側に近づいてくださったのです。

このクリスマスの時期、真の喜びに満たされますように、そのためにも聖書が語る救いが何であるかを知ることができますように、心からお祈りいたします。国分寺キリスト教会ではこの時期クリスマスの諸集会を予定しています。教会のクリスマスの諸集会に、ぜひおでかけください。心よりお待ちしております。