6月 牧師感話 ~思うこと・感じること~

教会の外に咲く花

6月は梅雨の時期でもあり、あじさいの咲く時期となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。先日、新聞折り込みチラシの中に、讃岐まんのう公園での「あじさいフェスティバル」のチラシが入っていました。チラシにも書いてありましたが、40種類2万株あり、6月11日~7月3日まで開催されるようです。しかも、6月上旬~下旬はヤマアジサイ、6月上旬~7月初旬はアジサイ、ガクアジサイ、セイヨウアジサイと書かれてあり、あじさいもいくつもの種類があるということに気づかされます。

花しょうぶやアヤメ、かきつばたというのは同じような花なので、見分けがつきにくいですが、ネットなどで調べるとその見分け方などが書かれてあります。例えば、「生育地で見分ける」、「開花時期で見分ける」、「葉の形で見分ける」などと出ていました。いずれにしても、この5~6月の時期は、あじさいも含めて、紫色系の花が似合うのかもしれません。ちなみに私が40年も前に、保育園に行っていたときは、アヤメ組、ツツジ組という、花の名前のクラスでした。国分寺キリスト教会のそばの農道とアスファルトの間にも、名前は分かりませんが、上の写真のように、やはり紫色系、ピンク色系の花が咲いています。

さて「紫」ということについて聖書から考えてみましょう。いろいろな箇所に出てきますが、人物に焦点を当てたいと思います。もちろん当時と現代でのことばの定義に違いがあるかもしれません。

聖書の「使徒の働き」16章13-14節には「安息日に、私たち【パウロ、シラス、ルカ】は町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。テアテラ市の紫布の商人で、神を敬うルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。」と「ルデヤ」という人が登場してきます。

パウロたちは祈りの場所を探し求めていた時、川のほとりによい場所を見つけました。そして伝道者として、そこに集まっていた人たちにも、「良き知らせ」を伝えます。

「紫布の商人」とは、特殊な貝殻をすりつぶして作った染料を用いる生地を扱う仕事をする人であったようです。ルデヤはその仕事のために各地を回っていたのかもしれません。それ以上に、大切なことは「神を敬う」女性でした。しかしこの時点では神様のことを十分に理解していたわけではありませんでした。主なる神様が、ルデヤの心を開いて、パウロの語ることばに耳を傾けさせ、心を留めるようにさせたのです。この後を読んでいきますと、ルデヤは、その場で主イエス・キリストを信じ、家に戻った後で、家族にも「良き知らせ」を伝え、みんなでバプテスマ(洗礼)を受けたと書かれてあります。

良き知らせとは何でしょうか。それは「福音」(ふくいん)とも呼びます。「福音」はまことの神が人間にご自身の偉大な愛を明らかにされ、神の御子イエス・キリストの十字架の死によって、罪人である私たちの罪を完全に赦し、新しいいのち、まことのいのちに生かしてくださるという喜びの知らせです。救いは神の恵みであり、信仰によることです。私たちにとって必要なことはその福音を聞き、その福音に応答するということです。

そして私たちにとってもう一つ大切なことは、それはやはり「見いだされる」、「見つけていただく」ということではないでしょうか。先日、北海道で7歳の子供が置き去りにされましたが、6日ぶりに見つかりました。この件に関していろいろなことが言われますが、行方不明になっている人が見つかることはこの上ない喜びです。同じように、さまよう人間が、まことの神様のもとに立ち返るならば、そして神様のあわれみによって見いだされるならば、神様ご自身がそのことを喜んでくださるのです。神様の偉大なふところに、悔い改めて立ち返るときに、本当の平安と喜びがあるのです。ぜひ、聖書を通して神の偉大さ、キリストの愛のすばらしさを知っていただきたいと願います。