4月 牧師感話 ~思うこと・感じること~

春の花々が咲き始め、本格的な春がやってまいりました。すでに菜の花はあちらこちらで咲いており、黄色であるゆえに強い印象を与えますし、桜もだんだんと全国各地でにぎわいを見せているようです。毎年この時期になると触れますが、4月は、新年度の始まりということもあって、新しい環境の中で過ごし始める人たちも多いことだと思います。子どもたちにとっては入園式や入学式があり、大人にとっては、転勤や異動、あるいはまったく新しいところで働く方々もおられ、新しい歩みを始める方々も少なくありません。もちろん特に何の変化もなく、これまで通りの生活を続ける方もおられます。この時期にふさわしい言葉は「新しい」という言葉かもしれません。聖書にはいろいろなことで「新しい」と表現している箇所があります。

ある時、イエス・キリストは弟子たちに向かって次のように言いました。ヨハネの福音書13章34節には、

「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」とあります。

上記のように、イエス・キリストは、「互いに愛し合いなさい」と説きました。しかしただ単に、愛し合うことを語っただけでなく、「わたしがあなたがたを愛したように」と語っておられるように、まずイエス・キリストが弟子たちを、そして私たちを愛してくださったのです。どうして弟子たちや私たちを愛してくださっていることがわかるでしょうか。よく言われるように、「愛する」とは具体的に行動を伴ったものです。口先だけ、表面的な愛は本当の愛ではありません。イエス・キリストは、人類の罪のために、身代わりとなって、十字架にかかってくださり、ご自身の尊いいのちを差し出してくださり、私たちが本来受けるべき苦難と苦悩そしてさばきを受けて、死んでくださったのです。ここに神様の愛が示され、明らかにされました。

私たちは、そのままでは神様に背いた存在であり、神様の愛と恵みを受けるにふさわしい者ではありません。しかしこのような私たちのことに目を留めてくださり、あわれみを注いでくださって、尊い救いへと招いてくださっておられるのです。すべて疲れた人、重荷を負っている人がイエス・キリストのもとに行くときに、イエス・キリストは「あなたがたを休ませてあげます。」と約束してくださいました。

イエス・キリストを救い主として信じて、生きていく時に、そこに新しいスタートが始まるだけでなく、あなたという存在そのものが新しく始まるのです。聖書には、

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(第二コリント5章17節)と約束されています。

「だれでもキリストのうちにあるなら」すなわち、だれでもキリストを救い主として信じて、キリストにつながり、キリストと共に歩むなら、ということでもあります。キリストを信じて歩む・生きるということは、その人の存在そのものが新しくされ、キリストにあって神との新しい関係に置かれているということですから、そのような認識を持つことが大切なのではないでしょうか。

新年度を迎えたこの時期、自分が新しい状況や環境の中で生活を始めた方もおられることでしょう。そのような中で、まず自分が新しい存在として生きるなら、大きな変化を経験し、新しい視点で物事を見ることができるようになるのです。新年度も神様の豊かな恵みと祝福がありますようにお祈りいたします。(2016.4)